コラムのアート道
コラムのアート道とは、新聞、雑誌等に取り上げられたアート関連記事について、当サイト主催の石田社長がずばり斬るコーナーです。コラムのアート道の、最新コラムは、トップページにてご覧になれます。 |
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第7回 未曾有の経済危機とアートについて考察(09年3月8日)
未曾有の危機である。米国発の金融危機が、世界に及び、世界同時不況を深刻化させている。
100年に一度とも言われる。昨秋の米国の「リーマンショック」以降、実体経済の危機は我が国は
もとより世界に及び、各国の成長率は下落に転じた。
雇用不安、金融機関の公的資金導入、需要の消失、売れない自動車・・・個々の現象は、もはや
各メディアの記事を取り上げるまでもなかろう。
昨年の北京オリンピック。中国のアートバブル。異常な美術品の高騰。それが今年は一気に様相が変じた。まさに天国から地獄である。何とせわしないことか・・・
中国の場合、ホンマもんの、「バブル」の破裂であろう。売れていた絵を見れば分かる。
中国や中東、アート市場を膨張させてきた金の担い手は、本当にだめになったのか。
ちょっと待てよ、とボクは言いたい。表向きはそうかもしれない。しかし、意外としぶとい。
原油価格が下落したとは言え、サウジは強気である。不動産ブームに翳りの出たドバイでは、
ホテルはいまだ活況である。
中国も、上海はなんだかんだと成長中である。
注目はシンガポールである。
NHKの「沸騰都市・シンガポール」を興味深く見た。頭脳都市国家シンガポール。
国家が、世界中の科学者をヘッドハントするのである。但し、契約制。
目ぼしい成果(論文が一流科学雑誌に掲載されることが指標らしい)が挙げられなければ、
クビになる。つまり、国外退去。ちょっと、考えさせられちゃいましたけどね。
また、他のアジア各国から建設関係の単純労働者を多数招き入れている。最近の経済環境で、
その外国人たちは、仕事がなくなり、国外退去。外国人労働者は、「調整弁」である、とリー首相は
言ってはばからない。
国家論を論じるつもりはない。どう国を進ませるか、それは国のリーダーの仕事だ。
米国の著名な投資家ジム・ロジャースも家族ごとシンガポールに引っ越した。
クリスティーズが、リッチ層を内覧会に招いた映像があった。ロジャース一家も何か買ったらしい。
期待はずれだったのは、意外と安かったことである。
価格はともかく、買い手はいる所にはいるもんだ、ということですな。
ちょっと誤解を恐れずに言うと、国がきちんとしてようとなかろうと、多少「不明瞭なお金」が
流れるほうが、アート市場にはよい。かなりの数の画商関係者が賛成してくれるでっしゃろ。
ボクも、90年代終わりには、何回か経験したことがあります。神戸の某社の社長に、お買い上げ
頂いた絵を届けたことがあります。その絵は、「女へのプレゼント」でありました。買ったお金の
「出所」は、聞きましたが、ここで書けまへん。
全世界で、短期間の間で、簿価上、膨大な額の金がなくなったのは事実である。
しかし、そのうち、アートに回っていた額はほんの僅かであるとボクは見ている。まだまだありまっせ。
日本でも昨年は、「ミニアートバブル」なんて言葉が使われた。
国内オークションも活況であったと。で、それが弾けたとか、なんとか、書かれる材料は多々
ありましょう。
ボクは、そんな言葉に疑問をもっとる・・・
国内のオークションは、単にそれまでの展示会販売が、売り方を変えただけ、と見ている。
落札作品と、価格をつぶさに見ていけば分かる。
そんな風に言えばですよ、日本のホントのいわゆる「バブル」が弾けたあとも、ミニバブルは
ありました。「ラッセンバブル」「ヤマガタバブル」とでも言うべきもんです。
「ラッセン・ヤマガタバブル」を、どう説明するか。
技法や売り方に批判があるのは承知の上で言わせてもらうと、「魅力的な絵柄」であったからこそ
であると思います。すなわち、その作家の作品の表現の勝利。
それは、つまり、国家の経済状況にはあまり左右されないものだとボクは思います。
ぐっちゃぐちゃの経済状況にあって、絵の流通性に悲観する必要はありません。
それよりも、何を描くか、表現されているものは何か、という、受け取る側にとってのインパクトの
強弱のほうが問題である。すばらしい作品を作るという、供給側の強い意志にかかっている。
キーポイントは、絵に描かれる、強い「あこがれ性」である。この「あこがれ性」こそが、階層や年収
を越えてアートが買われていく最大の「性能」であるとボクは思ってる。
これから画家になろうという人は、この「あこがれ性」を研究して欲しいな。国の境を越えて売れまっせ。
1点数千万円とかの、一撃ではない。そうした夜空の妖しい星は、消えるのも早い。
ボクの欲しいのは、ニーチェが言う、「正午」。「正午(まひる)」のアート。大地を照らす、誰の上にも
平等に振り注ぐ、光となるアートなんです。
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第6回 片岡球子と小川国夫と銀河(08年4月20日)
各紙 08年1月から4月
ここに、真っ赤っかの山の絵がある。裾野は真っ黄っきの沃野。空には、銀色のまんまるお月さん。
富士山である。単純な構図だが、踊るような色彩に、エネルギーが溢れている。
ボクは、東京の郊外、多摩と呼ばれるエリアに住んどりまして、あちらこちらから、ホンモノの富士山が見えます。
が、この絵の富士山のほうが、ずっと迫力、パワーがあります。
描いたのは、片岡球子さん。1月16日にお亡くなりになりました。103才です。肩書きは「日本画家」となっとりますが、ボクが思うに、偉大なる「先生」であらせられました。つまり、女子美術大学を卒業後、30年間!も、小学校の教員を勤めたんやで。(その後も、ずっと大学の教壇に立ち続けた)
画家としてのし上がってきたのは、ずっとあと、70代になってから。
回想の記事を読んでみると、片岡先生は、「信念の人」「根性の人」であったことが、ようわかります。根性が、長生きさせたといっていい。長生きできたから、いい仕事ができた。つまり、根性→長生き→いい仕事、という昭和レトロ的な図式がピタリと当てはまる。
ボクは、これは今の時代にも当てはまると思うな。CG全盛の今日、コンピュータの操作技術も含め、テクニックや発想が優先されがちや。でも、そんなもんとちゃう、実は、絵は根性やで! と、片岡先生は叫んどるに違いない。
さらに片岡先生は、アーティスト志望の諸君に対して、生き方のヒントを残してくれとる。それは、「今の仕事を一生懸命やる」っちゅうことや。かつ、絵も一生懸命やる。両方やって、「第2、第3の力」みたいなもんが出てくる。
ふわふわフリーターみたいなことやっとって、何となく画家を目指しとるようじゃ、とても成功は望めんでしょう。長生きもできんでしょう。ボクはそう考えとりますが。
今やっとる仕事が本望ではないとしても、一瞬でもええ、ベストを尽くす。その繰り返しが、成功へのステップを形成する。やや古いかもしれんが、そんな「成功哲学」的なもんを、片岡先生の生涯から見ることができるんとちゃうだろうか。
小説家の小川国夫さんが、4月8日にお亡くなりになりました。この作家の名を知る人は、そんなに多くないと思われますが。
「アポロンの島」「青銅時代」といった代表作があります。ボクも20才のころ、これらを読んで大いに影響を受けました。美術にも造詣が深く、画家の野見山暁治氏と親交がありました。
この2冊はおすすめでっせ。絵画的効果が溢れております。今日のライトノベル、ケータイ小説を先取りしているかのような文体、そして鮮やかに浮かび上がる印象―さらに深い精神性。
なだいなだ氏の言葉をかりると、こうなります。
「私は、彼の小説を読むと、ギリシャのスゥーニォン岬で、ポセイドン神殿の大理石を赤く染めた夕日を、何故か思い出す。あるいは、エジプトの砂漠を車で走っていた時の、あの酔わせるような、単純さの美しさ、無限に続く風紋と、大きな砂のうねりを思い出す」
小川さんは、若い時に、オートバイに乗って、地中海をはじめヨーロッパを放浪しておりました。その時の体験が、小説になっとります。
で、ボクは学生時代、先の2冊の小説を読んだことがきっかけで、オートバイの中型免許を取り、喫茶店のアルバイトでためた小金で、ヤマハの中古を買うたのでした。後年美術業界に入ったのも、そんなことが影響しとるのかもしれません。
アポロンの島の小川国夫、それはボクにとって、永遠の青春なんでっせ。ただ、合掌です。
寝台急行「銀河」が、ついに廃線でございます。3月15日のダイヤ改正に伴い、3月14日が最後の運行でした。東京〜大阪間を走る、歴史的なブルートレインです。
銀河は、1949年生まれですから、実に約60年、走り続けたわけです。ボクは若いころ一度だけ、乗ったことがあります。今でもよう覚えております。いい思い出です。その後も、時刻表を手にするたびに、この銀河号がちゃんと記載されていることに、なぜか安心を覚えていたもんです。
東海道本線を、8時間以上かけて、深夜走ります。その存在自体、強烈なアナログ的アートと言わずしてなんでありましょう。無骨で、男くさいアートです。そんな、味のあるアートが、またなくなってしもうたわけです。
銀河は、いくつかの文学作品に登場しております。ボクのおすすめは、内田百閧フ名作「阿房列車」より、「春光山陽特別阿房列車」です。百關謳カは、もちろんこの銀河に乗るんですが、「銀河」という列車標識を探してうろうろするさまが、おもしろおかしく描かれとります。昭和28年の話です。
長じて、銀河に乗ってから10年以上経ち、美術品の輸入販売会社でまずまずの地位についたボクは、大阪と東京の間を「ひかり」、その後は「のぞみ」に乗って、会議のため日帰りするという、デジタル的なスピード世界に放り込まれたのでした。
あの楽しい、貴重な「阿房列車」が、ひとつなくなったとも言えるでしょう。寂しい限りです。
新幹線全盛の今日の鉄道事情。はて、百關謳カが生きていたら、なんと言うでありましょう。
今回は、3つの「逝きしもの」でした。それぞれ大きなものを語ってくれたと思うとります。
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第5回 源氏物語・フランス・1000年 (07年10月24日)
日経新聞 07年10月20日などの記事より
ようやっと興味ある記事が出てきた。今回は、文学と絵のお話。
フランス語訳、源氏物語出版の話題。
「フランスで出版社を経営する、ディアンヌ・ドゥ・セリエ氏が7年越しのプロジェクト、フランス語訳源氏物語をこのほど完成させた。
同社は、挿絵入りの古典文学の出版が得意で、今回は、日本や欧米の美術館、大学、個人の所蔵する源氏物語関連の絵画を調査、うち520点をカラー図版で掲載した」
「源氏物語は来年で、千年紀を迎える。講演会やシンポジウムが盛んである」
という記事内容である。今年はまだ、1年前だから、さらりと紹介されているにとどまるが、かなりのすごいトピックスであると思う。
フランスの出版、とにかく7年かけたすごい執念です。経営者のセリエさん(女性です)の努力の結晶です。世界に散逸する源氏関係の絵の調査、選定に膨大な時間がかかったとのこと。その間に、フランス語訳を手がけたルネ・シフェール先生は、本の完成を見ることなくお亡くなりになっておられます。
感服です。プロジェクトエックスものです。
9月に発売されています。で、これを買って眺めろ、とか乱暴なことを言う気はありまへん。
値段は480ユーロです。現在のところ約8万円程度でっせ。インターネットで買えますが、いずれどこかの図書館で見ればよろしい。ただ、「本」というものを超えた迫力は感じてほしいな。
1000年もの間、源氏物語は様々にビジュアル化されてきました。そのことに注目。つまりそれだけ、「絵になる」ということ。
源氏は色々な解釈、研究があります。ボクは日本文学を専門としている訳ではありまへんが、(外国文学を専攻しちょりましたが)源氏は、すばらしく色彩感覚にあふれた文章で成り立っていると思うとります。
文学を通じて、キミの絵画感覚を豊かにする、これにはうってつけの作品であります。
10年計画くらいで、ひとつ読んでみてはいかがでしょう。少なくとも、ケータイ小説では味わえない「文学のチカラ」を感じることうけあいでっせ。
もちろん、原文でなんて言ってまへん。与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、田辺聖子、瀬戸内寂聴各氏の優れた現代語訳があります。
そしてですな、おったまげるような、すごい平成版「源氏物語絵巻」を、だれか描いてみてほしいわ。
アーティストにとっては、インスピレーションの宝庫のような源氏物語です。しかし、源氏を題材にした作品があまり出てこないのは、なぜ? 答えは、「読んでないから」に他なりません。
いい画家になる、ならば、日本の古典くらい読んどかなあかんじゃないの? 芸大あたりも、そんな教育してほしいわ。
そうです、イメージしてみんかい。源氏物語が、光ファイバーのごとく、千年を一直線に今にむすび、21世紀の「現代美術」に現出する・・・
ハイ、来年は、美術系アーティストにとって絶好のチャンスでもあるんです。
「1000年を超えて・源氏物語千年紀に見せる、現代によみがえる○○流、源氏物語展!」
なんて個展やったら面白いで。おおげさなタイトルだけでも、有効なマーケティングのツールと化す。
そのためには、10年計画なんぞ言わずに、1ヶ月くらいで読破するんですな。たのんまっせ。
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第4回 中東にルーヴル美術館ができる!? (07年4月29日)
日経新聞 07年2月2日、2月6日、3月28日などの記事より
アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ首長国は、総額270億ドルをかけて、沖合に「文化島」を作るという。ルーヴル美術館とゲッティンハイム美術館(米)の分館を誘致するほか、安藤忠雄氏の設計による海洋博物館などをつくる。文化の一大拠点として、観光産業を大いに振興しようという狙いらしい。
というのが大まかな内容。これを例に、今回は流行の「国家論」を論じようじゃないの。美術品が、お金のあるところ、または歴史的に「勝者」に集まるのは、冷酷なる事実であり、21世紀の今日、ついにオイルマネーが世界の名画を吸収しようとするのか・・・と単純に考えるのは、簡単であります。
ここでは、もっと縦横に視野を拡げてみないとあきまへん。
中東のオイルマネーが、不動産をはじめ贅沢品に流れたのは過去の話。このUAEの例は「文化」そのものに向かっているのが特徴や。
その他の国をちょっと見ましょうか。カタールのドーハ郊外には、ものすごい「教育都市」がある。アメリカの大学が5つもあるんやで。おまけにマイクロソフトなど有力企業の研究開発拠点もある。そんなこと日本人はほとんど知りまへんでしょう。いいとこ「ドーハの悲劇」くらい。
サウジアラビアは、負けじと、世界でトップクラスの大学を開校しようとしている。同国は、人材開発のためにすごい国家予算が割り当てられている。
そうです。いずこもかなりスケールのでかいハナシです。新しい国づくりのために、巨額のマネーが使われつつあるということや。「米百俵」どころの話じゃないで。
つまり、UAEのルーヴル誘致も、そうした巨額の奔流のひとつの支流と捉えるべきなのである。計画には賛否両論あるとのことだが、発想がダイナミックなところがええ。
もし実現したならば、中東エリアは、間違いなく10年後には世界有数の文化・教育の一大拠点となるであろう。単なる観光を超えて、日本からの留学生も増える。
いささか強引な国づくりだが、国のためにカネにモノを言わせるのは当たり前のこと。
さて、わが日本である。日経はこうも言っている。「このたび開館した国立新美術館は、所蔵品をもたない新しいタイプの施設。(巨額のお金を使って名画を集めるといった行為を考えると)その姿は、かえってすがすがしい。」と。
はたしてそうやろか? ボクは疑問や。「清貧」の思想とちゃうか? 所蔵品がないということは、「企画」とか「アイデア」勝負ということじゃろ。これで面白がるのは、ちょっと違うんじゃなかと思うな。なんか、ニッチなビジネスを考えつく起業の発想のような気がしてなりまへん。
いやしくも「国立」であるからには、例えば「人間力を鍛える芸術のための新美術館」とか「日本の若者の教養を高めるための新美術館」とか、いささかヤボなようでも、大上段にかまえる気概があって当たり前なんじゃなかろうか?
この国の学生・生徒の学力は国際比較から見ても落ちてる。国民のモラルは低下しとる。はたまた、医師のなり手がないから(つまり、そんな大変な仕事をしたくないと思うらしい)、医療はお先真っ暗・・・
なんともさえない話。国として、人材輩出力みたいなもんが低下しとる。
ボクは、考えすぎかもしれんけど、その「力のなさ」を国立新美術館が象徴しているんじゃないかと思ってる。国家がどこへ行こうとしているのか分からない、だから力強く、ダイナミックに国立の施設の中身に踏み込めない。そんなありさまを見るような気がします。
ついでに言わせてもらえれば、最近オープンした、六本木の東京ミッドタウン。これで六本木全体が、美術の街になったとかなんとか、マスコミがはやしてる。
が、よーく見てみい。つまりはデベロッパーの自己満足、チマチマした箱庭みたいなもんや。
ヨーロッパ5000年の歴史が鍛え上げてきた、恐ろしく奥深い、膨大なボリュームの「美術」の流れの、ほんの爪のアカ程度しかわかりませんで。
日本国、なんとかしなければいけません。オイルマネーがありませんって? わかりきっとります、そんなこと。霞ヶ関は知恵を働かせないけません。どうやって中東に対抗できまっか?
うかうかしてると、そのうち「東大行く、より、中東行く」ってことになりまっせ。人材の流出・・・彼らは帰ってきません。そのまま世界に出て行きます。生まれた国と働く国が一致しない時代です。
と、今回は、はてしなくこの国の未来を憂えることになってしまいました。
ま、こと美術館に関しては、言いたいことは山ほどありまっせ。それはまた別の機会で。
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第3回 「何か変・ミュージアムの民間委託、指定管理者制度」 (07年2月9日)
日経新聞 06/12/9 朝刊・文化欄
「指定管理者制度の導入が進む公立ミュージアムで、運営にひずみが生じている。同制度とは、自治体の業務の民間への開放で、質が高く、効率のよい運営のできる事業体が(企業など)県や市に変わってこれを行うというもの。事業体の選び方は公募。背景には自治体の財政難がある。受けた事業体は、まずコスト削減、人件費削減に動く。対象とされたのが学芸員。配置転換、つまりリストラ。美術作品を美術館に寄託していたコレクターも作品を引き上げにかかっている。」
以上が簡単なあらまし。分かりやすく言い換えるとこうなります。「うち(の県ないし市)はお金ありまへんから、美術館・博物館やってくのしんどいですわ。だれか安く請け負うてくれんかな。」
記事には例として5つ紹介されています。簡単に説明します。
1 伊丹市立美術館
06年度から同制度を導入。従来の運営者だった財団が受けることとなった。今までと違うのは、かっちりコストを削減しにかかるところだ。結果、市の学芸員は他部署へ異動。かなり貴重な寄託作品も返還する見通し。学芸員という「知的財産」が失われた。
2 広島市現代美術館
06年度から同制度に。事業体は公募だから、オレがやる、と手を挙げたのが、吉本興業。ところが結果、広島市の従来の「財団」に敗れた。こちらも伊丹市立美術館と同様、学芸員が一気に異動となった。
3 道立釧路芸術館
06年度より同制度に。受けたのはNTT北海道グループ。ここは工夫した。学芸部門は、北海道の職員がそのまま担う。つまり学芸員のリストラはなし。その代わりと言ってはなんだが、NTTのルートでガソリンと灯油を安く工面できた結果、かなりのコスト削減に成功したという例。
4 長崎県歴史文化博物館
05年度より民間企業の乃村工芸社が指定管理者となる。こちらも県の学芸員はそのまま残る。県と乃村工芸が協力しあっている。
5 大阪市の6施設
そもそもこの「指定管理者制度」は駐車場などの施設向け。文化施設では無理、と見なした例。6施設を「地方独立行政法人」とする方針。但し、法的な問題がこの先残っている。
どうでっしゃろ。分かったような分からなかったような、何やら難しそうですな。ボクは乱暴な意見かもしれんが、私立・公立問わず日本の美術館は、もっと数が減ってもいいと思うております。美術館はかなりなオーバーストア状態。公立美術館で、財政難から立ち行かなくなったならば、やめたほうがいいと思います。
で本題ですが、財政難の自治体がいかに文化施設を運営するか、という問題の回答例が挙げられているわけです。しかし、なんとも釈然としまへん。公立ミュージアムは、従来、そのために市が作った「財団」が運営してきたという経緯は分かりまっせ。しかし、指定管理者に名乗りでるのは「公募制」なんだから、なんで吉本にやらせてみないのか?
実は ― 財政難で大変じゃ、何とかせなアカン、しかし、だ・・・よそものに勝手にやられるのは困る、現状をあんまり変えたくない。だから従来の財団を「指定管理者」に鞍替えして予算だけを形式的に削減している ― どうもそういった超コンサバな「ミュージアムに対するヤル気のなさ」みたいのが見え隠れするような気がしてなりません。美術館の「矮小化」みたいなもんを感じますな。
本気で改革に取り組むならば、資金力と発想力のある企業に管理者になってもらうほうがええでしょう。大阪市の例のように、この制度だけの発想にとどまる必要もないでしょう。企業の
M&A みたいに近隣の市の施設との合併もありでしょう。資金力のある大企業を引き込むことも必要でしょう。PFI(自治体の業務に民間の『資金』を導入する方法)方式にして、いっそ大胆に美術館そのものをこの際リニューアル、組織も変えて有能なファンドマネジャーを据えて思い切った資産運用を図る、なんてのも面白い。
つまり、美術館という「商品」を「豪腕」にものを言わせて「営業」せないけません。きっとその時代がきたのです。それをやれる人材がいないって?ならば、その人材をまずは公募しなはれ。
そうこうして10年くらい経ったときに、ようやっと日本の美術館(特に公立美術館)は、世界標準になれるのです。
地方から世界に向けて、「うちはこんな美術館がありまっせ。どうぞ世界のみなさん、見にきて下さい」と胸はっていえるんじゃありませんか。もちろんそこにしかない、すごい魅力的・個性的な美術館になってまっしゃろ。有能な学芸員も潤沢に揃えることができてます。海外と交流できるレベルの学芸員です。当然高給です。学生の希望就職先でもトップクラスです。
そのくらいのスケールと気合でやらんといかん。ボクも日経の記事を何度も読んでて、なんだかチマチマしたはなしで、情けないやら・・・とりあえずは首長さんの資質にかかってくるのか。だったら頼んまっせ。知事さん、市長さん。
次回は、面白い記事を見つけたとき、いつになるかわかりませんが、こうご期待。
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第2回 「賞を受けたからには」 (06年12月17日)
新聞各紙 06/11/30 「ベストデビュタント賞」発表
今年も日本メンズファッション協会主催の、ベストドレッサー賞が発表された。渡辺謙、荒川静香、バレンタイン監督など6名。今回話題にしたいのが、あわせて発表された「ベストデビュタント賞」というもので、アート部門で日本画家の松井冬子さんが選ばれたというニュース。この賞は、今年で3回目。「アート部門」とはっきり謳ったのは、今年がはじめて。
デビュタントとは、フランス語で「社交界でデビューする人」という意味。若い各界のクリエーターに贈られる。YKK社が特別協賛。かなりあいまいな賞で、何を基準にしたのか選考側も明言していないくらいだから(というか出来まへんでしょう)、松井さんが優れた画家なのか、というと実のところよくわからない。
さて松井冬子さんとは、知る人ぞ知る、かなり美人の女性であります。経歴には1974年生まれ、とあるから、そこそこの年齢である。幽霊などをモチーフとした、グロテスクな作風が特色。異色といえます。見る人の好き嫌いもあると思うが、なかなか力のある作品であると思う。が、それほど「凄い!」という絵ではないとも思える。
受賞のポイントは、かなりの部分は外見にあると想像できる。写真を見る限りでは、「目に力のある」女性であるとお見受けした。個展を何度も開催するなど、それ相応のキャリアはあるが、なぜか今は東京芸大の博士課程に在学中の「学生」。
芸大は、彼女を宣伝媒体として利用するつもりなのか、まだ手放さない。経歴にややアマチュアっぽさが残るから、早く社会に出たほうがええでしょう。「画家」を肩書きにするには、卒業するか、もしくは芸大の助教授になってからでも遅くない。
彼女はもちろん、えびちゃん世代のはるか上をいく年代の人だが、今後はアートの世界も、音楽界同様「本人の見た目が勝負」の時代がやってくることを予想させる。ひょっとすると、えびちゃんみたいなカワイイ画家とか、エロカッコイイ女流画家がテレビに出まくる時代がすぐにやってくるかもしれまへんな。男の画家にとっては、どえらい時代になりまっせ。
高度にメディアの発達した今日では、「メディアに出るにふさわしい」人が得をするのである。画家が画家として、生計を成り立たせていくために、自らを露出させることが、ひとつの有効な宣伝手段となるのは間違いないでしょう。
まじめな話だが、美術を目指そうという若い人は、そのあたりも「読み」に入れておく必要があるんとちゃうか。
ところで、この受賞によって、今後が大変になるのが、当の松井さんであろう。このさき、「下手を打つ」ことはできなくなります。つまづくこともできなければ、筆をおいてしばらく充電することも適わなくなるであろう。と、本人に思わせるプレッシャーがかかってきますでしょう。さらに怖いのが、相当数の女性画家からの嫉妬が作品への批判となって襲ってくることである。
作風が変われば批判、変えなくても批判、色を変えても批判、変えなくても批判・・・たまりまへん。
それらに打ち勝って、質の高い作品を制作し続けることができるのか。受賞を拒否せず、受けたということは、本人に今後の自分に自信がある証拠である、と思うほかありません。
作品には、その画家のキャリアとか経験、年齢にしたがって変化する考え方・人生観が色濃く反映されるものであります。晩年になって、「あの賞を受賞したころはこんな絵を描いていたが、今はこのように進化しました」と自信を持って言えるか、その時点で、見る人を唸らせることができるか。
この受賞によって、否応なしに、本当の勝負の世界に踏み出したということなります。ボクはそう読んでおります。今後の松井冬子さんに注目でっせ。
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第1回 「ボクらの税金で美術品市場が活発に?」 (06年10月18日)
日経新聞 06/10/15 朝刊・資産運用というページ
「オークションが活発になってきている。昨年、シンワアートオークションが株式を上場し、オークションの認知が高まってきた。それに関し、美術品を担保にした融資の仕組みも生まれた。
また、メガバンクも、オークションでの売却の仲介を始め、美術品投資をポートフォリオに含めるといった動きもある」
以上が記事の要旨であります。これは美術市場の高揚と言うより、マネーゲームの類であると言ったほうがいいでしょう。株や投信と同じや。平均落札価格は約700万円。世界中をぐるぐる回っている作品がマネーを動かしております。普通の人の「絵のある生活」には、全く関係のない、別世界での話。
『美術品を担保にお金を貸す』とは、つまり誰の、どんな作品を所有していれば、いくら借りられるのでしょうか。その際の指標は、何なのでしょうか。過去の落札価格ですか? 融資担当者にぜひ聞いてみたい。
おお怖ッ。オークションは、株式市場とは違います。買い手がいない場合も十分あります。そもそも誰もが望む「名品」は、オークションに出てきませんでしょう。
尤もオークションとは、つまり定期的に開催される”販売会”が名を変えたもの。「最低落札価格」として、価格もちゃんとついてる。複数の購入希望者がいたときにのみ、競りになるというだけのおはなし。
いざ、担保を換金せなアカンという時、はたして望んだ額のキャッシュになるんでしょうか。そもそも、ほんとに「資産運用」になるんでしょうか。
株式市場においては、決算数字や業績予想、その他もろもろの指標で、将来の株価を予想することができますが、美術品でそんなことができますかいな。できるんでしょうな、きっと。
すごいことです。銀行の融資担当者の博才がすごいのか。それとも実は超安全策をとって、融資額を過去の落札価格の5掛け程度にするとか・・・。どっかで耳にしたことのあるハナシ、そう、バブル期にも全く同じようなことがありましたっけ。
ま、対象となるのは、かなりな資産家でしょうから、これを読んでる皆さんとは全く縁のない話です。
それはさておき、記事によると、バブル期に「企業がためこんだ美術品」が、換金目的にオークションに出てきているとのことです。当時「企業がためこむ」ための資金をじゃんじゃん融資したのは、他ならぬ上でいうメガバンク。で、「ためこまれた美術品」はバブルがはじけたことで換金されず、バンクの方は経営状態が悪化し、これいかんということで、「公的資金」が注入された。忘れてはいけまへんで。つまり僕らの税金が使われたってことや。
それから何年も経ちましたわい。僕らの税金を使った銀行は、今は黒字。で、余裕ができたせいか、上に書いたような美術品担保融資なんちゅうことをやりよるという図式です。
しっかし、驚くなかれそんな銀行は、何と税金を払っておらん。会計上のルールにより、過去の赤字の繰り越しが利くからである・・・と、なんとアホなお話であることでしょう。
僕は業界の人間だから、もちろんシンワ社やその他オークション会社が、長年にわたってすごく企業努力を重ねてきたことはよく知ってます。もっとがんばって欲しいと思ってるくらいです。
ただ、僕はファイナンシャルプランナーの資格も持ってますから言いますけど、こうした記事が出たところで、シンワ社の株価がいくらになるかっちゅう材料を株の愛好家に与えるだけ。実体経済とは異なります。まして日本のアート市場が豊かになることとは、何の関係もないってことです。
ついでながら、日経新聞の記者は、そんな表面的な部分だけじゃなく、もっと突っ込んだ具体例、バブル期に痛いめにあった事例、さらには「バブル期に美術品をためこんで財テクしようとしたがうまくいかず、今になってせっせと換金している」アホな企業の実名をあげるなど、突っ込んだ記事を書いていただきたいと切に願いまっせ。
次回は、面白い記事を見つけたとき、いつになるかわかりませんが、こうご期待。
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